『レクチュール 知的興奮の誘い』

 予備校講師が国立大学の入試問題文章を引きながら、読書と思索の基本的な姿勢について熱っぽく講義してくれる。読書論という体裁をとっているが、実際には読書だけにとどまらない、広範な「思索指南書」だろう。
 読書をしたり、考え事をしたり、その中で純粋に抽象的一般的な思考を、あなたはどのくらいできているだろうか。どこか具体性、特殊性といったものが混ざってしまっているのではないだろうか。もちろんそういったことを悪いと断じるつもりなどさらさらない。ただ、完全に捨象されきった、全くの空論というものは、やってみると分かるだろうが非常に楽しい。その楽しさを味わうための方法論が、この本にはあるのだ。メタレベルでの議論や目的の目的化など、抽象思考には欠かせない概念について、入試問題文や古今東西の名文を解説しながら興奮気味に語ってくれる。何に興奮しているかと言えばもちろん、その知的さに興奮しているのだ。例えば込み入った学術書までは行かなくとも、選書や新書、学術文庫などにおいて、読んでいてある一文にはたと開眼させられたことはないだろうか。頭の上に感嘆符なり豆電球なりが飛び出るといった類の体験だ。筆者はそれを「知的興奮」と呼んでいる。本書は、知的興奮を何よりの楽しみとしている筆者が、いまだその境地に至っていない読者を――興奮のあまり半ば強引にではあるが――導く授業なのだ。
 冒頭で述べた通り、筆者は予備校で教鞭をふるう英語講師である。ここだけの話、私自身も彼女の講義を受けたことがある。自分ではあまりできのよい生徒だとは思っていなかったのだが、彼女にはどうも気に入られていたらしく、直前期には彼女オリジナルの予想問題で添削をしてもらえるなど、非常に懇意にしていただいた。実は今回この本を手に取ることになったのも、その縁で彼女から出版の知らせがきてのことである。さて、肝腎の彼女の講義だが、正直なところ受験対策としてはあまり役に立つものではなかった。一つの長文に拘泥するあまりカリキュラムを半分もこなせないだとか、文章の内容ばかり解説して文法構造などにほとんど触れないだとか。しかしそのことで彼女を低く評価するつもりはない。確かに純粋に受験対策としての方法論的な授業を求めていた人はすぐに授業に出なくなった。しかし私を含め、多くの生徒が依然として出席し続けたのもまた事実だ。では一体何が生徒達を惹きつけていたのか。彼女は一体どんな授業をしていたのか。その答えはすべて本書にある。一読していただければ、「ああ、こんな感じの授業だったのか」とすぐにでも分かるだろう。受験英語などどこ吹く風、問題なのは文章の中身だといわんばかりの熱のこもった授業で、私が学んだことは数知れない。そしてそれは、すべて本書で知ることができる。
 名物講師が送る、知的生活を営む上での「一般教養科目」として、この本は非常な価値を持っている。

レクチュール―知的興奮の誘い

レクチュール―知的興奮の誘い