夕張観について

注:この記事は2017年6月17日にask.fmに公開したものをサルベージしたものです。

あなたにとっての夕張とは、を教えてください

ぼくの個人的なカプ観が詰め込まれていますので、おやと思ったらすぐにタブを閉じるんだぞ。

僕の中での夕張って、ゆうさみの夕張さんと由良張の夕張さんとそれ以外の夕張さんでちょっとずつ違うんですよね。ゆうさみでも由良張でもない夕張さんは、しっかり者で落ち着いていて、頭も回って面倒見もよくて何でもそつなくこなす、それに何より顔がいい。まあ言ってみれば「憧れの先輩」ポジションなんですよね。夕張っていうと同型艦がいないこととか深夜アニメ見る設定とかから「友達がいない」って扱いをされることもよくあるけど(島夕なんかで多いよね)、ぼくは夕張さんは友達多いんじゃないかなって思う。ぼっち夕張も好きだけど。夕張さんは特に駆逐艦から絶大な人気を誇ってそう。あいつどうせバレンタインチョコもらいまくるんだぜ。そういうやつだよ、夕張はよォ。

でもそんな完璧超人にも見える夕張さんも、由良張となると変わっちゃうんですよね。だらしなくて興味のないことには無頓着で、身の回りのことはほとんど由良にやってもらってる。普段の聡明さはどこに行ったのってくらい抜けてるし、すぐふざけるし悪ノリする。まるで別人じゃないかと思うくらいですが、同一人物なんですね。これはきっと、それだけ由良には心を許してるってことなんじゃないかと思います。さっき夕張さんは友達が多いと言ったけど、そのたくさんいる「友達」に対してはみんな、どこか見えない壁を作ってそう、というのもあるんですよね。ところが由良に対してだけはそれがない。由良もそれを知っているからこそ、夕張の「心地よい居場所」を提供してやることにやぶさかでない。由良と夕張はズッ友なんですよね……。

んで、ゆうさみとなるとまた話は変わります。ひとたび由良の元を離れた夕張さんはみんなの理想の先輩なわけですが、五月雨ちゃんを前にした途端にその余裕はどこか絵と消し飛んでしまうわけです。五月雨は夕張に対してものすごくストレートに好意をぶつけてくるわけですが、それがあろうことか夕張の奥深くに眠っている劣等感を揺さぶり起こしてしまうわけです。いくら容姿端麗博学才穎の彼女とはいえ、言ってしまえばそれが単なる「外ヅラのよさ」でしかないことは彼女とて自覚しています。実際の彼女は先述の通り。だからこそ設けている心の壁も、それ自体が劣等感に拍車をかけます。こんな内気でだらしなくてコミュニケーション能力もなくて破滅的な人間が、誰かに愛されていいはずがない。そんな夕張の心の柔らかい部分を、五月雨の笑顔がこともなげにわしづかみにしてくるわけです。眩しくて明るくて温かくて神聖な、それはいわば浄化の光。そうして夕張の心にはアンヴィヴァレンツな感情が芽生えるわけです。五月雨ちゃんが自分なんかのことを好きになっていいわけがない。でも五月雨ちゃんのことが好きで好きで、好きで好きで仕方がない。そんなわけだから夕張さんが五月雨ちゃんの前で挙動不審の権化となるのも宜なるかな。ヘタレなのに一緒にいたがりで、何気ない言動にすらに一喜一憂する。けど、そんな夕張さんのことを五月雨ちゃんは「かわいい」と思っているんですね。

そんな感じで、夕張さんは言ってみれば「真面目で人気者の優等生だけど、本当はそんなに真面目じゃないし自分を極端に値踏みするし、自分のことが好きじゃないし他人のこともそんなに好きじゃないけど、でも私だって誰かに愛されたい!誰かを愛したい!誰か!誰か!うわぁあああああああ!!!」という、非常に、非常に人間くさい矛盾だらけの愛すべき存在なんです。夕張さん大好き。

ほら、タブ閉じろって言ったろ。

シェアする