東京でも新作が出るぞ
「彼女は確かに話している」のもう少し詳しい紹介
前回書いたとおり、友人の同人誌に短編小説を寄稿した。最初は大阪文フリでの頒布だったが、今週末には東京文フリでも頒布するらしいので、再びの宣伝となるが容赦されたい。前回は聞かれてもいない自分語りに終始し、作品の説明がほとんどできていなかったので、今回はそちらをメインにしていきたい。
今回の『拾遺』に限らず、サークル「ねじれ双角錐群」の同人誌は毎回定められたテーマに沿って各人が作品を寄稿する、というタテマエになっている。実際には参加者はテーマに沿ってもいいし、沿わなくてもいい。そして今回はテーマ「十」に沿った作品を出すこととされていた。これはとりもなおさず、『拾遺』がねじれ双角錐群の記念すべき10冊目の合同誌だからだ。
そういうわけで筆者は「著作権法第10条」「10人の証言」を軸に、「彼女は確かに話している」を寄稿した。著作権法第10条とは、どういったものが著作物として認められるのかを定めた条項だ。これに従えば、例えばコンピュータープログラムは著作物性を認められるが、プログラミング言語そのものは著作物たり得ない。プログラミング言語は言ってみればルールの集合体であり、そうした「表現そのものではなく、表現を行うためのツール」には著作物性を認めないこととされているのだ。
では、そうした非著作物が著作物性を帯びるにはどんな前提を設定すればいいだろう、というデバッガー気質が、今作の出発点だ。非著作物ではあり、著作物性が認められるとインパクトが大きいものとして、代表的なものにフォントが挙げられる(ゴナ事件の判決文において「書体に著作物性を認めると、その書体を使用したあらゆる文書に著作権を主張できてしまうことになりかねず、自由な表現の保護に反する」という旨の指摘がある)が、それをそのまま用いてもつまらないので、より大きな――それこそ人間の生存にかかわるような問題を引き起こす――ものとして、人工言語を主題に据えることとした。人工言語を唯一の言語として育てられた少女が、言語制作者から著作権侵害を指摘され、その言語を使えなくなってしまったら? というストーリーだ。
法学や言語学などの多少込み入った知見をかなり多く説明しなければならないテーマとなり、かつ「主流ではない」考え方も多分に登場する都合上、地の文での説明は望ましくないことから「ドキュメンタリー映画の体裁で、各人に証言をさせる」スタイルを採用し、地の文は価値判断をなるべく避ける(なるべくに傍点)形にした。また、「著作権法第10条」だけを十要素とするのはさすがに弱いだろ、と思ったので証言者を10人とすることで義理掛けとした。なお、この作品は「人工言語を母語とする少女についての法学的検討」という核心要素が、伴名練氏の「解説──最後のレナディアン語通訳」と被っている。作品全体のトーンややりたいことなどは異なると自分としては思っているが、パクりと見なされても不思議ではない程度のバッティングだったため、伴名氏には事前にプロットを開示して相談のうえ、世に出すことについて快諾をいただいている(その後、完成稿も笑覧いただいている)ということは明らかにしておきたい。
言語を奪われてしまった少女は何を捨て、何を選ぶのか。彼女の過去と未来を、彼女を取り囲む10人の証言者が浮き彫りにしていく。合同誌に寄稿するものとしては無法の70ページという大迷惑ボリュームでお送りする法学ハードSFだ。サンプルは前回の記事を参照されたい。
他の作品の話もしよう
なお、『拾遺』は十をテーマにしているが、これは作品ごとのテーマのみならず、作品数自体も10になるのが美しいよね、という建て付けとなっている。にもかかわらず、締切である5月31日の数日前に筆者が原稿を提出した時点で、提出フォルダに集まっていたのは「彼女は確かに話している」を含めてたった4作のみ。終わりやね。そう思っていたら、なんか参加者リストにない、誰も知らない謎の人間の手による原稿がしれっと提出されていた。
別名義による二作目! そういうのもあるのか! 大学SF研で会誌の編集長をしていた頃には、先輩が愉快犯的に聞いたこともない名義で2作目3作目を提出してきてキレそうになることは茶飯事だったが、この惨憺たる提出状況、自分自身が先輩にならなければならないということか。
というわけで急遽でっち上げた2作目は、1作目とは打ってかわって脳みそ空っぽにして楽しめるコラム調のものにした。舞台はとある雑誌の連載コラム「一から十まで」。毎号6ページという充実の紙幅を用いて、特定の文学作品を文字どおり「一から十まで」解説していくものなのだが、最新号のテーマとして編集者から指定されたのは、なんと「世界一短い小説」として名高い、わずか6単語の文章だった――。本作は全編がそのコラムの文章という体裁で、「6ページも何を書けばいいんだ!」というコラムニストの苦悶を軽快に描いている。
かかる2作目を「閏水叶」という、自分でも読み方がよく分からない謎の筆名で提出したのだが、状況は好転しなかった。原稿第二集団の執筆は遅々として進まず、結局10作目の原稿が無事提出されたのは、本来の締切の1ヶ月も後だった。なお、最終提出者が誰であるかは本人の名誉のために伏せるが、サークル主宰であるcydonianbanana氏の提出は6月30日だったことを申し添えておく。
そんなわけで、愉快な難産の末に生まれたねじれ双角錐群新刊『拾遺』は、11月8日の文学フリマ東京43(東京ビッグサイト)で頒布される。サークルスペースはく-96だ。96ってなんだよ、どんだけスペースあるんだよ。関東近郊に在住の方は、ぜひ立ち寄ってみてはいかがだろうか。